「結婚はいくらきれいごとを言っても、しょせんは打算。年収や学歴のいい人を選ばないとダメ」といつも話す知人の女性がいて、医者との接点を求めて病院に勤め、お見合いでも医者とばかり会っていた。念願かなって医者と結婚したが、1年も経たないうちに離婚した。その後、この女性と会っていないので、詳しい事情は聞いていないが…。
「結婚は打算」というフレーズをさすがに自分のお見合いの席で、相手の女性から聞くようなケースはなかった。しかし、彼女以外でも、親しくなった女性からたまに聞くことがある。男性も言わないことはないが、女性から聞くケースが多い。
この妙にさめたというか、現実的になっていることを装ったような発言には、私は違和感をもってきた。残念ながらと言うべきか、幸いと言うべきか、これに反論する機会になかったので、この場で私の考えを述べたい。
「結婚は打算」と言われれば、確かにそうかもしれない。自分にプラスになるかどうかばかりに注目した発想だから、私は好きではないが、百歩譲って、結婚が打算であることを肯定したとしても、だからこそ、相手の所得や学歴より相手との相性を重視すべきだと思う。
相手にどれだけ多くの収入があっても、自分を愛してくれない相手、あるいは自分が愛せない相手と結婚して、さめざめとした家庭で一生を送るのでは全く割が合わない。
「結婚は打算」と話す人の多くは「結婚さえすれば、相手は自分を愛してくれる」と安易に考えているのではないか。しかし、離婚件数や家庭問題で悩む人が多いことを考えれば、結婚がそんな生易しいものではないことがわかるはずだ。
家庭の問題を抱える先輩が「一番リラックスしたい家庭の中で考えの合わない配偶者と一緒にいるのは体内に異物があるぐらいの痛みや違和感がある」と話してくれた。そんな人生とお金の比較なら、秤(はかり)にかけるまでもないだろう。
もちろん、個人の自由だから相手の所得や学歴を重視する価値観はあっていい。だが、それは相手との相性を最重視したうえでの判断でなければならないと私は思う。
〈PR〉

コメント