中年と言われる年代に入り始めたころ、同年代の美しいOLと付き合った。デートの後、彼女を家まで送り届けて、帰りの電車に乗った時、奇妙なほどに強い孤独感や空しさをいつも感じた。きれいな彼女とのデートを終えたばかりで、幸福なはずなのに、なぜ、こんな感情に襲われるのか、わからなかった。
彼女が私の自宅に来るようになった。ある時、私の親が私の子供の時の写真を持ち出し、「この子は子どものころ、こんな感じだった」と彼女にその写真を手渡した。彼女はそれを受け取ると、「ああ、そうですか」と関心を示さず、テーブルの上に置いた。つまり、私の少年時代には全く興味がないようだった。
相手を真剣に愛しているのなら、子どもの時のことを含めて相手の全てに強い関心を示すのが自然の感情だろう。無関心は愛情のなさの表れではないかと、私は彼女との付き合いに迷いが生じるようになった。そのうち、いくつかの出来事で「彼女は私を愛して付き合っているのではなく、結婚適齢期を過ぎようとしていることにあせりを感じ、結婚したいという思いだけで私と付き合っているだけではないか」と思うようになり、結局は別れた。
付き合っている相手がどこまで自分のことを愛しているか、あるいは相手がどれほど愛情深い人物かということを見極めるのは、実はかなり難しい。結婚したいと思っている人は相手を愛していなくても、愛情を“偽装”することがあるからだ。
若い人たちから、相手の愛情に不安になって相談をもちかけられることもある。そんな時、先に書いたエピソードを話したうえ、次の質問をする。「デートを終えた直後にさみしさや空しさを感じることはないですか」「相手はあなたの子どものころに関心を示しますか」。
相手を愛していれば、会っていない時でも相手のことを頭のどこかで考えている。もし、相手のことが頭の隅にもなかったら愛していないということだ。今、振り返って分析すると、あの時の孤独感や空しさは、彼女がデートの後、自宅に帰れば、私のことを全く考えてくれていないことが直感的にわかったから感じたのだ。
「そんなことが直感でわかるのか」と疑問にもつ方もおられると思う。デートをしている時は気分が高揚しているから、相手のちょっとしたそぶりや口ぶりで愛情のなさや人柄の冷たさを感じても、高揚感で打ち消されてしまう。しかし、デート後に1人で彼女のことを考えると、デートの時の彼女のそぶりや口ぶりがおぼろげな記憶として蘇ってくる。無意識の中で、その記憶をつなぎ合わせるようになり、私のことを全く考えていない彼女の人間像が浮かび上がったのだと思う。
人には愛情深いタイプと、それほど人に愛情を注げないタイプがいる。どうせ結婚するなら、愛情の深い人物と結婚すべきだ。愛情の深い人は大抵の場合、心配性だ。恋人に対してもすごく心配したがる。若いころはそんな恋人がいると、干渉されているように受け取り、「私には私の生活がある、ほっといてくれ」と反発したくなる。心配してくれるのが愛情であることがわかり、ありがたいことだと思えるようになるのは大抵、人生の後半戦に入ってからだ。
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